倭マン's BLOG

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日本の、これから「“核の時代”とどう向き合うか?」

NHK『日本の、これから「“核の時代”とどう向き合うか?」』を観て。

思ったより白熱した議論が交わされてた感じがしましたね。 3時間の(それなりの)長丁場なためか、核武装容認か核兵器廃絶か」って意見が、あまり偏らないように人選が考えられていたように思います。 世論調査の結果に偏りがあるなら、人選に偏りがないのはいいのかな?という思いも少しありますが。 ただ、「主婦」や「栄養調理師」(だっけ?)といった肩書きにはイマイチ意味を感じられませんでしたが(この方々の意見がどうでもいいという意味ではありません)。

個人的に、議論の根本にある意見の相違は『核抑止力は実際にあるのかどうか?』ってことだったと思いました。 「核抑止力なんてのは空論だ」というなら、日本はアメリカの核の傘から出て、かつ核武装もする必要がないという意見になるのは当然だし、「核抑止力には実際に効果がある」というなら、非核三原則を見直すか、日本自体が核武装をすべきという意見になるもの自然。

(国家ではない)テロ集団に対しては、核抑止力は効果がないであろうということは皆の意見が一致するところでしょうけど、国家間に効果があるならば(拙者はそう思いますが)、利用すべきものだとは思います。 その他、核抑止力について

  • 核兵器は「戦後60年以上使われていない兵器」であり、また「インド、パキスタンは核保有国になってから紛争が大幅に抑えられた」という事実があるならば、核抑止力に意味がないという根拠は何か?
  • 核抑止力を目指して核保有国が増えていけば、「実際に使用する、もしくは核兵器を拡散させる国家が出てくる」可能性が出てくるのでは?

といった疑問はありますね。

そういえば、ある大学生の方が「核の傘の価値を感じたことがない」と言ってましたが、これは完全に教育やマスコミのせいでしょう。 例えば、日本が中国に多額の ODA を出していて、それによって道路や学校などが作られているそうですが、実際にそれらを使っている人が「これは日本の ODA で作ったものだ」ってことを教えられなければ、一生日本に感謝することなんてないでしょう。 「核の傘」、もう少し広く「日米同盟」ってのも同じで、実際にマスコミがその価値を報道したり、学校で教育したりしないとその価値なんて感じないでしょう。 たとえ、今現在の日米同盟に反対する人でも、冷戦時代の日米同盟の価値を否定したりする人はいないでしょうから(たぶん)、そういった歴史的事実だけでも教えるべきかと。 つーか、否定論も肯定論も全部含めて教育せい!って感じですね。

ところで、被爆者の前で核保有論を繰り広げるなんて、時代も変わりましたねぇ。 昔は核の「か」の字を言っただけでも非国民扱いされてたような気がしますが。 ただ、被爆者の中にも「核保有論者」はいらっしゃるようですね()。 どの程度の割合かは分かりませんが。

こういった討論番組を観ていて思うんですが、討論中に意見が変わる人っているんでしょうか? というか、変わる可能性が無いのに討論する意味ってあるんでしょうか?(意見がコロコロ変わるってのもマズイとは思いますが。) 人の意見を聞かずに同じ事ばっかり叫んでる人ってどういうスタンスで討論にのぞんでいるんでしょう? 「自分の素晴らしい意見を皆に説く」って感じなんでしょうか? 他でやってくれと言いたい。

意見が変わるという以前に、そもそも反対意見を全く聞いていない人もいますね。 討論って「相手の(反対)意見を理解した上で、それに対して反論する」ってことをやってこそ意味があるんだから、そういう人は出演を自粛して欲しいですね。 まぁでも、こういった討論番組は、観る側がそれから何を得るかってのが一番意味・価値があるのかも。