倭マン's BLOG

くだらない日々の日記書いてます。 たまにプログラミング関連の記事書いてます。 書いてます。

2014年6月9日

日記

「努力が必ず報われる」という話について明石家さんまさんが「それは違う」と反論していたラジオの書き起こしが話題になってました。 ちょっと遅れてその記事を読んだけど、前半の話は努力を努力と思ってやってたらダメってな話で共感できたけど、後半の結婚生活どうこうの話で「ん? そういうこと?」とちょっと違和感。 違和感というかどうでもいい感。 食べ物に大してこだわりのない拙者にしてみれば、人が出してくれた食べ物に文句言ったり残したりするなんて考えられない(腐ったモノを出されたりしない限り)。 それをそのときの気分で食べないとか、相手が努力してる、頑張ってるとかの問題じゃないだろうよ。 気分で食べる・食べないを決めるんなら、食べたくなってから作ってもらうか自分で作るか自分で買ってくるかすればいいし、そうすべきだと思うんだが・・・ とか思ってたら、自分って人と一緒に生活するの不可能、家族一生できないだろうな、という自分の社会性のなさに哀しくなったw

「努力は必ず報われる」なんて言ってる人って、当然だけど成功者だけなんだよね。 なんで自分が成功したら他人も同じように成功すると思うんだろうか。 成功には最低限の努力が必要条件なのは確かだろうけど、普通に考えて充分条件にはならんだろ。 こういう発言する人って論理的というか統計的な考え方ができてないんだろうな。 ノーベル賞(科学系)とったとか自然科学系の成功者は、(結構な努力の上に)運もあったと言う人が多いように思う。

よく言われてることだけど、「努力は必ず報われる」ってのは「報われてないなら努力をしてない(努力が足りていない)」とみなされて、昨今話題のブラック企業の温床になっていそうではある。

努力を努力と思わずするってのと、意識して努力するってのは状況によって使い分ける必要がありそう。 あんまり考えが纏まらないのでそのうちに書き直そう。

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