倭マン's BLOG

くだらない日々の日記書いてます。 たまにプログラミング関連の記事書いてます。 書いてます。

2014年6月7日

日記

中学生数人が長崎の被爆者の老人に「死に損ない」という暴言を吐いた。 この老人を死ぬのを失敗したと言う意味で「死に損ない」っていうなら、こいつらは「生まれ損ない」(これは生まれてこなかったという意味になるかな?)もしくは「育ち損ない」だな。 とか思いつつ、はてブコメントを読んでたら「できそこない」というピッタリのコメントがあった。

はてブコメントには「被爆者で飯食ってるんだから中学生のヤジくらい我慢しろ」みたいな、(成人してるなら)この中学生らより残念な輩もいる。 まぁ、この被爆者が利権を得てるかどうかはしらないけど、同和問題とかで逆差別的に利権を得てる団体とかがあるんでこういうコメントも出てきてしまう哀しさ。 ただ、逆差別で利権を得るための下地は「人に反論を許さない悲劇の主人公」であることなので、軽いヤジにこそ徹底的に抗議する姿勢が大事。(←これ、被爆者の老人の話は関係ないヨ!)

永江一石氏が、Yahoo!個人に稿したYahoo!Japanの佐野氏に「しょーもない記事」とコメントされてYahoo!Japanへの投稿をやめた。 ネトウヨとかはてサとか放射脳とかでないなら、ふつう記事を批判するとき「どこが、何が」というのを簡単にでも付けて批判するもんだろうに。 Twitter とかはてブとかの字数制限あるツールとかならともかく、Facebook にそんななかったと思うが(使ってないので知らない)。 「いいね!」ボタンをクリックするくらいの気持ちで反射的にコメントしたんだろうね。 どこの誰かも分からん人間のコメントならスルーするような内容でも、Yahoo!個人を運営している Yahoo!Japan の関係者がそれをする?

コミュニケーションの話で、対面の会話なら会話内容だけじゃなく相手の表情からも情報が読み取れるのでコミュニケーションは比較的しやすいが、電話だと声しかやりとりをできないのでコミュニケーションの難易度は高くなる、メールだと語調なども分からなくなるし記録も残るのでさらに難しい。 ソーシャルツールでは、そのやりとりが大勢の第3者にも公開されていてちょっとしたことで炎上する。 そこらの立ち話程度のつもりで発した言葉が予想外の影響・炎上を起こす可能性もある。 もしこの永江氏の意見に同調した Yahoo!個人の執筆者が大勢いたら、執筆者がごっそりと投稿をやめてしまうリスクもあるわけね、「しょーもない」コメントで。

被爆者に対する中学生らの暴言や永江氏に対するコメントは、なんというかどちらも無意味に陰鬱な気持ちにさせられる話じゃの。 相手への最低限の敬意・礼儀があるだけで済む話なんだがのう。

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